島暮らしのリアル①│【利島】子供たちが“故郷は利島”と言える環境を守りたい…利島村役場 本間瑞季さん
このコラムは2024年8月24-25日に行われた「東京多摩島しょ移住定住フェア」にて、
東京愛らんど広報事務局スタッフが取材したものです。
移住者続々、利島村の成功の秘訣はなんと…?!
はじける笑顔が印象的な静岡県出身の本間さん。
大学卒業後4年間、人材系企業で営業職として働き2023年に利島へ移住しました。
現在利島村役場の職員として活躍中です。
利島は移住者がひっきりなしにやって来る―。移住者が多い島としてたびたびメディアに取り上げられている印象を持っていました。役場職員の観点から、移住者が多い理由は何だと思いますか?と尋ねると、意外にも「私もわからないんです。」と困り顔。
超高齢社会になり、労働者人口の減少が危惧される日本にあって、利島村の人口ピラミッドは20~40代の働き盛りの現役世代がボリュームゾーンとなっています。さらにその80%は移住者が占める(家族と独身者比率は1:1程度)という驚異的なデータ(以下参照)。
本間さんが利島ときっかけができたのは大学生の時でした。社会貢献活動の一環で椿の農作業を手伝ったのが最初のご縁。
その後も3回ほど利島に足を運び、島のことを徐々に深く知る機会を経て現在に至ります。
利島の椿産業を支える農業ボランティアから移住者へ
利島の椿油の生産量は毎年国内トップクラスを誇りますが、下草刈りや実拾いシーズンは人手が必要で、椿農家さんの高齢化に伴い、椿農家さんの負担軽減を目的とした学生ボランティアの受け入れが2013年からはじまりました。これまでに活動に参加した人数は500人近くになり、今では利島村の人口約300人を大きく上回るほどになっているのだとか。
本間さんは「それって、今で言う、“関係人口”ってやつですかねぇ。」と呟くように話しました。
私はその時、「島への移住成功の秘訣は?」と軽々しく質問した自分を恥じました。人口減少には関係人口構築だ、自治体による移住支援だと、専門家や外野があれこれ意見し、成功の方程式を作ろうと論じるのではなく、ごくごく自然な形で、「利島の未来のために、いま自分にできることは何か?」という心意気が、結果として島の文化となったからなのだと。
そしてこのように学生時代から利島に思い入れのあった本間さん。池袋で開催されたアイランダーのイベントに参加した際、利島村役場職員募集!の告知が目に留まり、応募することに。そこから役場への就職内定、そして移住に至ったそうです。大学時代からの島内ボランティア経験や、本間さんがこれまで人材系企業で営業職として磨いてきたコミュニケーション能力は、結果的に島で全て活かされる形となりました。
利島の教育支援に妙あり!
それは「15の春」と関係します。利島は小中9年制の義務教育学校が1校のみ。高校がないため、15歳になると進学のために島から巣立ちを迎えます。島で暮らす家族は「15の春」までに親離れ、子離れするよう島全体で子育て支援がなされるのだそう。一般的な子育てよりも短い期間で親子の絆が育まれるのでしょうか。
利島はその子供たちへの教育や体験への支援を惜しみません。現在、在籍する小中学生合計24名の給食費、教材費、学童、部活遠征費、修学旅行費、海外ホームステイ費など、本来保護者が負担する教育費用の多くを村負担で行っていると言います。子どもたちの教育格差や体験格差が囁かれている時代に、こうしたことを手厚く支援してもらえるのは貴重ですね。また、友好村である東京都檜原村の児童と交流など島外の子どもたちとの交流も盛んなのだそう。
本間さんはこう話します。「子どもたちが大人になって“私の故郷は利島”“将来利島に戻りたい”と思える環境を作っていくのが今の私の務めだと思っています。まだ利島で働いて2年目。社会人になって人材会社で4年勤めたように、利島村役場でも4~5年やってみないとわからない。もう少し、自分にできることを試したいと考えているところです。」
そうした利島愛が少しずつ人から人へ繋がり、輪が広がり、島の未来をプラスにする移住者が増える。本間さんの話を聞いて好循環が生まれ、結果の花が咲いているのだと感じました。
次は利島村漁業協同組合に勤務する池原さんの島暮らしのリアルをご紹介します。お楽しみに。
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